にぼしのひとりごと

自分の感動を、知ってもらいたい。

災害から学ぶ。今を見る。

皆さんどうもにぼしです🐟

本日ニュースを見ていたらこんなニュースを見かけました。

 

【1日の動き】阪神・淡路大震災から27年 次の世代へ記憶伝える | 阪神・淡路大震災 | NHKニュース

 

阪神淡路大震災から今日で27年。

このニュースを読んで感じたことを書いていきたいと思います。

 

私は震災が起きた時は生まれておらず、話を聞いた程度です。地元は神戸市ではないものの、当時大変揺れたと聞いています。

タンスが倒れるほどに。

両親と姉は阪神淡路大震災を経験しており、急に揺れたので対策などもなく、姉を守るために必死だったと聞きました。

 

阪神淡路大震災から27年、次の世代へ記憶を伝える1日ということで、兵庫県では、このニュース記事のような動きがされていました。

 

日本は災害が多く発生する地域でもあり、その対策が求められています。

100年周期で起きると言われている大地震南海トラフ)も近い未来に起きると予測されていますし、他にも地震だけではなく、天候によるものや火山活動によるものなどもあります。

こうした自然の脅威というか、人間の力ではどうやっても抗えない不条理に対して、人間はどう向き合っていくのかが大切だと思いました。

 

そのひとつが次世代に伝えていくということだと思いました。

ただ事実を伝えるだけなく、それを受けて生まれた「教訓」を伝えることが重要なのです。

経験者や体験者はその事実を体験し、たくさんのことを考え感じたのでしょう。

私はそれを含めて次世代へ繋げることが重要だと考えています。

 

少し話が逸れますが、戦争を語り継いでいく重要性と似ていると思います。

我々日本は、戦争によって何を失ったのか、どんな影響があったのか、それを知り、二度と繰り返さないようにする必要がありますよね。

災害にとっても同じで、どんな被害が出たのか、どう対策すればよかったのかということを含めて、他人事だとは思わずに、自分で考えてなければいけません。

 

 

西宮の止まってしまった時計を見て、色々考えました。私が住んでいた街にも戦争によって止まってしまった時計がありました。

そのように「当時のまま、当時を表しているもの」を見ると、なんだか生々しくて、心が痛くなるのです。

しかし、そのような「当時のもの」は、私たちに「当時」を教えてくれます。時計なら時間を。

 

コロナ禍でいろんな人が不自由に生きている世の中も一種の不条理で。

人間はその不条理に立ち向かっていかなければいけません。

フランス出身の小説家である

アルベール・カミュは、

人間にとっての不条理をテーマに作品を手掛けました。

その中には、今と同じような、感染症が蔓延る世界で、人間はどうやって生きていくかを描いた作品もありました。

気になる人は読んでみてください。

「ペスト」という本です。

 

少し話が脱線してしまいました。

災害の脅威とはいつ起きるか分からないと言う予測不可能性であり、根本的な対策のしようがないという点があります。

けれどやれるべきことはやっておいた方がいいですよね。

非常時の食料の備蓄、水分の備蓄、避難経路の確認や避難場所の確認。

やっておこうと思えばやれることばかり。

「備えあれば憂いなし」

という言葉があるように、備えておけば心配はありません。

 

これから災害が起きた時に大きな被害を出したり、同じ失敗を繰り返さないようにするために、この1日のような活動は非常に重要だと思いました。

少なくとも私はこのニュースをみて、色々考えることができたし、なにより、他人事ではないと感じることができました。

私のように、この記事や、ニュース記事を読んで、記憶に残してくれる人がいれば嬉しいです。

 

 

今回は真面目に色々と考えてきました。

「災害」というヘビィなトピックなので、もしかしたらこの記事を読んでしんどいな、不快だなと思う人がいるかもしれません。

そのような人たちが万が一いらっしゃいましたら申し訳ございません。

 

私たちのような若者は、本気で災害や現代の感染症について一体どれくらい向き合っているんだろうと感じました。

私はわりと記事内で紹介したアルベール・カミュに影響を受けています。

災害や感染症を人間にとっての不条理と訳したそのその影響が強いです。

皆さんは感じませんか?どうやっても打ち勝つことができない、自然の気まぐれや、パンデミックによって我々のように平和を望む人たちが壊れていくことを、誰のせいでもないのに、なぜ自分はこんな思いをしなければいけないのか。と。

原因の対象がいることは結構楽なことで、

例えば、〇〇くんにいじめられたんだ、だから〇〇くんのことが嫌いとかであれば、その対象を責めることで自分で納得することができます。

「不条理」が厄介な理由は対象が無いということです。理由づけができないので、我々は自然の気まぐれに転がされるしかありません。

 

それってとっても怖いこと。

巨大な力の前では、人間はちっぽけな存在なんだと、カミュの作品を読んでから考えるようになりました。

それから人間にとっての不条理が怖くなりました。

私は、今の感染症のことや、近い将来起きると言われている災害について、どこか怯えています。

自分が経験したことがないからこそ怖い、知らないからこそ怖いというのが本音です。

そんな中で見つけた今回のニュース記事で、とてもいい活動だと思いました。

それを伝えたくて、ブログで取り扱ってみました。

 

ニュースから学ぶことって大事で、自分で考える一つの手段となりますので、皆さんもぜひ、色々考えてみてくださいね。